海がきこえる

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今週3日間で氷室冴子「海がきこえる」と「海がきこえるII アイがあるから」の2冊を読んだ。
特に今日はお客先へ直接出たのでゆっくりと行けた(その代わり東西線は総武各駅の遅延のおかげで超混んでた!)のと、時間外自粛日のおかげで調子に乗って家でも読んで1日で1冊読み終えてしまった。
私が最初にこの本を買って読んだのは高校生の頃だった。
それより少し前に日本テレビの特番でスタジオジブリによるアニメ化があり、とても印象的だった。
で、「実は小説の方が先で、今度その続編が出る」と言うので、読みたくてしょうがなかった。
しかしそこは田舎の本屋、置いてあるわけもない。
当時はAmazonもブロードバンドもあるわけないので、検索も取り寄せもできず。
仕方なく駅前の本屋で取り寄せてもらった記憶がある。
予約票みたいなところに書くのだが、「海がきこえるII アイがあるから」と書くのは高校生としては恥ずかしかったな...。

何度か読み返して、この「アイ」という言葉がとても気に入った記憶がある。
面と向かって「愛」と書いたりするのは恥ずかしいけど、「アイ」なら何かそういうのも緩和されるような気がする。
もちろんもう残ってないけど、大学入ったころの日記なんかには結構「アイ」と書いてるんじゃなかろうか。
...どういう話題で「アイ」が出るのか分からんけど。

この2冊を文庫版で改めて買ったのは2009年。
その前年、著者の氷室冴子さんは亡くなった。たぶん、それをふと思い出してAmazonで検索し、文庫版を見つけ、買ったんだと思う。
高校時代の印象と少し違うのは、拓や里伽子の過ごす大学時代を通り抜けてしまったからかもしれない。
彼らの周りの人間が優しく、懐かしいものに感じたのは、きっと自分がそういった記憶を想起しているからだろう。

懐かしさと若さゆえの恥ずかしさが詰まった本です。
30過ぎたおっさんが(ブックカバーはしてたけど)挿絵が来るたび恥ずかしさからドキドキしてたのはまた別の話。